04/28/2003  
[雑記]

 メモ。
 鬱になる話のゲーム。なんとなくそう云われると、『君が望む永遠』というゲームを思い出すというかやったことないけれども強烈に鬱げーだと聞いているわけですが、このスレは普通のゲームでの話。鬱と名作は紙一重なのかどうなのか。結局のところ、「プレイヤーに対して強烈な印象を与える」という方向性では一緒なんだろうし(種類は明確に異なるのだろうけれども受けてによって様々な捉え方になるから、これまた難しい所か)。ツクール作品だという『虚構に咲くユリ』と『コープスパーティ』が気になる所。後者は他の所でも、FC版『スィートホーム』と一緒に語られてたけれど。だがその前にやるゲームが……いやいやその前にやることが……いやいやその前に仕事がッッ。
 更に蛇足。仮想世界と現実の境界の曖昧さを描いたゲームとか小説が最近多いけど(『ダンザルブ』とか『クリス・クロス』とか、前で挙げているツクール作品のもそのようだ)、個人的な源体験としては岡島二人氏の『クラインの壷』だなあ。謎は謎。どれも不確か。境界は曖昧で、終結は終末。読み返すか……。
 電波ソング。後で聞いてみようかみるまいか。
 洗脳……になるのか? 多分ならないだろうと思いつつ、この場合は洗濯屋は蟲ということに。なにかのネタにならんかなあ、とか思ったけれども、よくよく考えると『人形遣い』が結構近いネタとしてあったなと思う。ふう。

04/24/2003  
[雑記]

 FF XIをやっているという程やっているわけではないのですが、MMORPGとしてのFF XIを見ていると中々に興味深いことが多いですな。例えばEQだとクラスは固定で変更できず、そのため各クラスの熱心な人が多くて色々物議をかもし出したりもしましたが、基本的には真っ当な意見や論議が多かったと思ったものです。これはクラスを変更すること=キャラクタを変更することであったことから、愛着が湧いたというのもあるのでしょう。

 FF XIはクラスが自在に変更できるわけですが、やはりクラス論というものはあるもので、色々2chとかで論議されているようです。クラスをざっと見てみると、EQの各クラスがそのクラス特有のウリがあるのに対して、FFの場合クラス特有のウリというのがあまりなく、あったとしてもサポートジョブという形で他のクラスのウリを食えるという点が独特です。例え食われたとしても、レベルの半分という制限が制限として機能すれば問題ないわけですが、どうもそれが巧く機能していないようですね。

 他にも白魔と競合する(メインクラスとして回復魔法をおぼえる後衛)クラスとして、赤魔というものがあります。回復魔法を覚えるのは数レベルの差で、状態変化回復及びPT全体に対する強化を白魔、弱体とMP回復及び回復ができるソロが得意なクラスとして赤魔があります。当然この二者は互いに食い合うわけで、このサイトでは、▼トリックという所で赤魔と白魔の比較をしているわけですが、これまた中々にFF XIのBBSなどでよく見られる行為(他ジョブが強化を望むと、強化をさせないような論調で非難する)であり、且つ証明が皆無なのも面白いです。

 今後出てくるであろうMMORPG。日本の土壌が腐れきっているのかいないのか──どうなんでしょうねえ? とか思ったり思わなかったりする今日この頃。EQのクラスバランスとクラス特性の調整は、なるほど三年以上の長きに渡って叩かれただけのことはあるのかもしれません。

 メモ。
 アリスソフトの昔のソフトを配布しているサイト。なんでも昔のソフトの無制限配布をやってもOK〜、とか云ったとかなんとかで、98時代の幾つかが配布されてますな。Anexとかで動くのでしょうか。98Emu。

04/23/2003  
[雑記]

 メモ。
 どせいさんフォント。……Mother、いいゲームでした。GBAで今度出るのが楽しみ。

04/07/2003  
[雑記]

 メモ。
 229。まだ見ていない。
 オープニングエンディングデータベース。──中々面白い。というか。実は、『海の闇 月の影』という少女漫画があって、あれそういえば最終回どんなんだったっけ? とか思ったのでちょいと調べたら出てきただけなんですが。

04/02/2003  
[雑記]

 メモ。
 TYPE-MOON終焉と、商業化。当然といえば当然の流れですね。人は趣味だけで生きるに非ず。この手のパターンで、同人を引きずって、ケジメが甘くなると色々問題でそうですけど。でも逆に同人の時にあったなにかがなくなると、それはそれで分裂したり噴出したりするのでしょうけれど。まあ、ユーザとしては、出てきたゲームが面白ければよいだけのことなのです。

TBOARD 006 Version 0.12
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