[雑記]
過日BearwisさんとMSNでだらだらと、だらだらと、梶尾基次郎いうところ屍体が水晶のような液をたらす様のようにだらだらと、京極堂シリーズについてチャットしたり萌えについて話したりしていてBearさんが云ったコトが、『萌えとは、オタとは、魔境に安寧する者ではないのか?』 という話。魔境とは、禅における修行過程に措いて時として訪れる至福の境地。他であればそれは悟りであり奇跡体験であり、天涯か或いは地涯にも似た果ての境地、到達地になるのだろう境地。禅であればそれを魔境と切り捨て受け流し、修行を積むのだろうけれども、残念ながら人生は禅ではないからこそ、そこが良ければ留まるも良し、魔境と切り捨てるも良し───。
──御託に御託を積み重ね、更に御託を上積みし、比較対象に成らないものを無理に論理付けするやり取りは、実は結構好きだったりするわけで、とどのつまり、前述のやり取りは結局の所無意味。無意味の意味すら無い程に、無意味なわけで、でもまあ、実際の所どうでも良くて、ああ、そうそう、大事なことは『萌え』というのは共通認識の上に成り立つ言葉だってことか。 「ガン=カタ萌え」と云わなくても「ガン=カタ、カッコイイ」でも「ガン=カタ、イカス!」でも「ガン=カタは俺好み!」でもいいわけだが、「ガン=カタ萌え」の一言でそれら全てが内包されてくれるので言葉としてはとても便利。共通認識を抱いてくれている人相手なら、その一言で事足りる、言足りる。短文に秘められた情報量の多さとしては「萌え」という言葉に勝る言葉はないわけで、ある種の言葉の進化、同様に云うならば、「ら」抜き言葉が近いか。「xxxを(に)たべられる」という前文がなければ意味が通じない言葉が、「ら」を抜くだけで大凡の文意が通じること、口語としての少ない情報量で相手に意味を伝えることが可能であることに、或いは共通性を見出せるのかどうか──。
ちなみに今日は単に冗長な文を書いてみよう、と思っただけで、文に意味は無い。そもそも余り長くならなかった。
『マトリックス・レボリューション』公開は明日23時。むう、悩みどころ。
メモ。 PDC2003。メモ〜。 間違い捜し。後でやってみようかと。 悪食列伝。……バケツプリン……。実際には杏仁豆腐の方がインパクトがありますな。個人的に意外だと思ったのは、バケツプリンが自壊しなかったことでしょうか(或いは自壊してるのかな?)。もっと盛大に潰れると思ったんですが、いやはや意外。
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