ふと思い立ち、答えるように応えて『BLACK LAGOON』の何処にフックを感じたのかと云えば、そのどっぷりと首どころか頭の上まで潜り、体の芯までどっぷりと悪意の闇に染まった者たちの、躊躇わない暴力っぷりに昂ぶりを感じるのですよ。逆に黄昏を歩むと云われたのがロックですが、しかしてラグーンクルーは全員が黄昏を歩んでいる──日本編でロックにずぶりとそのことを突きつけた雪緒の言葉を借りれば、選んでいないのはダッチを除くラグーンクルー全てではないかとも思うのですよ。
生き延びるために銃と暴力に手を染め、ロックやBearさん云う所の過去の悲劇を売り物にするレヴィもまた意識しているか知らずかわかりませんが、望んでというよりかも流れた結果が暴力の信徒という現在の立場であり、それであるにも関わらずバラライカや張、或いは双子のように突き抜けきれないが故にロックのような陽の光から来た者に苛立つのではないか──と。ベニーやロックは云うまでもなく、しかしてラグーンのキャプテンである所のダッチは、まあバックグラウンドが全然出て来ないのでそもそも一巻のほんの冒頭で金を振込むシーンをみるにつけ、陽の光の当たる場所では目的を満たせず、かといって闇の黒さに捕らわれることも厭うて、それをプライドというのか仁義というのか判りませんが己を卑下することのないよう現在の黄昏の立場に望み臨んで立っているのではないかと。そんな闇と暴力の大海に下る大河のただ中に有るダッチという名の黄昏の湖沼に単に流れ着いてしまったのがラグーンクルーの面子ではないかと──そう思うですよ。
逆に双子を筆頭にしてバラライカといった闇の住人、暴力と破壊の信徒たちは、あらゆることを一切斟酌せず目的に邁進し手段を選ばない……その点にも個人的には昂ぶりを感じるわけですよ。
それと同時に、逆に暴力も震えず、破壊する力も持たないロックも時に見せる男ッぷりに期待するわけで、まあ私の期待する所のロックは、日本編の引きをJojo風にやらせて貰えば、
「バラライカさんは、『なんと云った、ロック』と云う」 「今、なんと云った、ロック」(はっ!)
とばかり、ホテル・モスクワに対する最大利益をもたらし雪緒たちを救う術を口先三寸で切り抜けて欲しいと思うですよ。多分、それによってバラライカたちの手で火にくべられる薪の如くになぎ倒される者たちが出るのでしょうけれど。逆にロックが銃を手に取り、暴力と破壊とを己の手で実現し、自分で云った暴力莫迦になったら酷く失望してしまうのではないか……?
まあ、そんな所で、プレゼンテーション資料の作成が進まんですよ。
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